世の中にはいろんな人がいる。
俺みたいに甘味がいっさいだめな人もいれば、珍味のキャビアが喰えないって人もいる。
なんでも、つぶつぶした食感が気持ち悪いらしい。
そういわれれば、仮に吸血鬼がいるとして、ぬったりとまとわりつくような、生暖かい匂いと舌触りがイヤ、と可愛らしくすねる血が嫌いなヤツがいるのも不思議ではないのかもしれない。
話の流れからわかるように、仮に、というのは嘘だ。
少なくとも彼女は吸血鬼を自称している。ずいぶんと偏食の吸血鬼もいたもんだが。
彼女とはじめてあったのは、コンビニへ行く途中、近道をするために人気のない夜の公園をつっきったときだった。
遠くでサイレンの音がしている。消防車か救急車かはわからなかった。
灯りも乏しいが、広々とした場所なので、あまり恐くない。本当に恐いのは何がいるかわからない物影だ。
だというのに人影に気づいたのはずいぶん、まぬけなほど近づいてからだった。
黒のジーンズに、黒いノースリーブのハイネック。月明かりはあっても、夜と一体となった人影を浮かび上がらせることはできないでいた。
人影は白い腕を夜空にむけ、日に掌をかざすかのようにしていた。
人がいることに驚いて、つい足を止めてしまった。
気まずい。
広い場所に二人だけ、しかも会話をするような、たった二歩ばかりの距離でだ。
こんばんは、と軽くあいさつをして横を通り過ぎようとする。
「いい天気ね」彼女が先に口を開く。
確かに月が綺麗な夜だった。
コンビニの帰りに行きとおなじ道を行くと彼女はまだそこにいた。
そして同じように月明かりに掌を透かしている。
「こんばんは」
今度は自分から声をかけていた。
「楽しそうだね」
嫌味でもなんでもなく自然にそう思った。
「ええ、とっても」
本当に羨ましくなるくらいの顔を魅せてくれた。ようやく腕を下げる。
「でも気を付けたほうがいいわよ。今夜みたいな魅月夜(みつきや)には、よくないことが起こるから」
俺は彼女の言葉を聞いてはいなかった。彼女の笑みに魅せられていたから。
月色に輝く長い髪、白い肌、小さな顔に整った目鼻。闇色でありながら光を放つ黒髪。
夜と一つになり、最初まるで気配を感じさせなかったこととは嘘のように、ほかの星を霞ませる月のごとく存在感を放っていた。
初めて女の人を、その笑みを綺麗だと思った。
「どうしたの?」
からかうように尋ねてくる。
「貴方にとってよくなこと、それは今夜私に出会ったことかもね」
今夜が満月だからといって、通り魔がはやっている時に外に出たことに少し後悔する。
あくまで少しだ。彼女に約束を破るような奴だとは思われたくない。一分遅刻しただけで怒るようなヤツだ。
だが、脇腹からくる熱い痛みも正直辛いものがある。通り魔の奴め、今度あったらただじゃ済まさん。
はあ、自分がこんなにも運が悪いとは思わなかった。血が流れたせいか意識が朦朧とする。
けど頭に霞がかかった瞬間に痛みで覚醒する。おかげで気絶するにできない。
ようやく約束の場所につく。よかった、彼女はどうやらまだ来ていないようだ。
血が流れ出て体重は軽くなったはずなのに体は重い。ハハ、当たり前か。
一瞬目の前が暗くなる。いや、夜だからじゃない。
冗談じゃない。
世界が明滅する。
思考も……遅くなる。
目に、映、る世界が、遠い。
静謐に 静けさに 音のない世界に 包まれ、る 。
まじにヤバイかも……。
… 、 。 ? −−−−− 。
走馬燈のように浮かぶのは、彼女と出会ってからの日々だった。
俺にとっても十分に長かったけど、あいつにとってはつい最近のことだ。
黙っていればかっこいい大人の女性なのに、口を開けば年を疑うようなことばかりだった。
月夜の晩に待つとき、彼女はいつもお決まりののポーズだ。夜空に手をかざし、月の静かな光が心地いいと言っていた。
血が嫌いのくせに、まっとうに月が大好きな吸血鬼。
みんな過去形だ。
散漫な、思いでの虚像と意識の中で、彼女が泣いているのが見えた。
俺のことはいいから、早く家に帰れよ。
夜道は危ないから、俺みたいに、なっちまう。
吸血鬼っていっても、一応、女なんだからさ。
悔しいことに、唇からは紅い雫だけしか漏れない。
言いたいこともあったが、もう話すのは無理だ。
見るのも、
考えるのも、
聞くことも、
もうできない。
血が大嫌いな、変な偏食吸血鬼を、識ることができない。
「好き嫌いは、よくないよね」
つぶやきは聞かれることなく、夜に融ける。
彼女はそっと、彼の首筋に口づけた。
あの通り魔事件から数年がたつ。
三枚目と美人の吸血鬼は、好き嫌いをしながら日々を楽しんでいる。
「好き嫌いなくしたら、吸血鬼ばっかになっちゃうじゃない。私はかまわないけど」
人間が平和でいられるのも、彼女みたいな偏食鬼のおかげかもしれない。