第2話 二人の日常
かすかに冷えた空気は心地よく、人であった名残か小春日和の陽光も気分をよくしてくれる。
同時に体の重さも否めない。吸血鬼である自分にとって太陽とは相容れないものだ。おかげで奇妙な二律背反に悩まされる。
恨みがましい、いや妬ましい想いで隣を歩く彼女に目を向ける。自分と同じモノであるはずの彼女はきわめて、これでもか、というほど絶好調だ。
「なあに?どうしたの?」
細く滑らかな金髪を揺らし可愛らしく首をかしげる。
「元気そうでいいな」
「うん、とっても。今なら百メートル一秒きれるわよ」
淡い膨らみを持つ胸を誇らしげにそらす。皮肉が通じないことがこんなにも空しいことだと彼女はいつも教えてくれる。無論、そんな教授に感謝はしない。
薄い桜色の唇からは能天気な台詞しか出てこない。
「確かに、おまえならできそうだな」
俺は小さく溜息をついた。
「なによ、辛気くさいわね」
「どうしてお前は吸血鬼のくせに太陽の下を平気で歩いていられるんだ。俺はこんなにだるいのに理不尽だ」
「どうせ私はらしくないですよ。血だって嫌いだし」
こんどは小さくすねる。黙っていれば綺麗なお嬢さまなのに(お姉さまか?)、口振りと表情は女童のようだ。さっきまでの口惜しさも消え失せ、小さく笑ってしまう。
自分たちは吸血鬼だ。にも関わらず彼女は平気で昼間出歩くし「血なんか不味くて飲めたもんじゃない」と閉口するありさまだ。
「いや、らしいよ、本当にお前らしい」
「むー」とうなる様子さえ、本当に彼女らしい。
彼女と出歩くのは楽しいが、体の不調はいかんともしがたい。
「ちょっとそこのベンチで休ませてくれ」
「ええ、…ちょっと待って。何かいい匂いがする」
よっぽど気になるのか、道の両側に建ち並ぶ店をきょろきょろ見渡す。
「ちょっと見てくる」
匂いのする方向を見つけたのか返事を待たずに歩いて行ってしまう。別に行くなと言うつもりはないが、返事ぐらい聞いてから行ってほしかった。
しばらく日光の存在を疎ましく想いながら日光浴をしていると、背の中ほどまである長い黒髪をなびかせて彼女が小走りで戻ってきた。
「お待たせ!」
もったいぶるように笑うと、後ろ手に隠していたものを目の前に突き出した。
もう何度目になるだろう、彼女の容姿を観察する。
日本人にありえない長さの足は、黒のスリムジーンズに包まれて細くやわらかい曲線を自己主張している。いつも白い服の上半身に今日は無地のシャツを着ている。おかげでセーターなんかよりも肩が華奢なのがよくわかる。通った鼻梁に薄い唇。細い眉に少し猫目がちな瞳が小さな顔にある。長い黒髪と黒真珠のような瞳は彼女をいっそう輝かせていた。
欲目なしに美人だ。安っぽい表現だが絶世と断言したいくらいに、だ。
シンプルな服に化粧のしていない顔。だからこそ作り物ではない美がある。
そんな活き活きとした欠点のない西洋美人が持っているもの。
「…何だこれは」
あまりに違和感につい聞いてしまう。見ればわかるがそれを認識するのを脳みそが拒否している。
「あゆの塩焼き串刺しバージョンよ!」(だから見ればわかる)
ギャップがありすぎるぞ!
例えるならフォークで寿司を食うようなもの、真夏のこたつ、(以下規制)!!。
「おいしいわよ。魚屋さんの店頭で売ってたの」
魚を横にして小さな口でほおばる様子は、猫が魚をくわえているのと違わない。
…美味そうだ。
「…まずそうだな」わざと反対のことを言う。
「おいしいわよ」
「まずそうだな」美味そうだ。
「おいしいったら!そんな事言うを二匹とも食べちゃうわよ!」
むきになった彼女に、俺はわざとらしく溜息を付いた。
「がまんして一緒に食べてやろうと思ったのに…」
「いじわる」
不機嫌な顔をしてもう一本の方を差し出す。
「悪い悪い」
焼き立てのあゆは確かに美味しかった。かすかに冷たい秋風が頬をなでれば尚更だ。
「美味いな」
「でしょ!」
本当に表情が面白いくらいに変わる。
一緒にベンチに座り、共に魚をほおばり、同じように美味しいと言う。
こんな風に、落としてから引き上げる感じで、”イッショ”を強調すると本当に幸せな顔を魅してくれる。泣いた烏がナントやらだ。
その変わり身の早さに、無邪気な微笑みに、笑いがこみあげてくる。
彼女はずっと独りだった。他人とは違う時間の流れ、それがどれだけ長い時だったかは知らない。
でも今は違う。これからも違う。
孤独を思い出して、泣きそうな顔をする必要もない。
同じ時の中にいる人々を見つめ、淋しそうな、羨ましそうな想いをする必要もない。
寂しいと、慟哭することもない。
彼女と”イッショ”である事を望んだからココにいる。
”イッショ”であれば満たされる。
そう、幸福を満たすモノが、絶望という血色のワインであっても。