第5話 チルマデハ
「吸血鬼を狩る者です」
そう告げた女は俺を気押すように唇をゆがめた。
炎に照らされたそれは迫力のあるものなのだろう。
「それはご苦労様」
自分は何とも思わなかったが。
「吸血鬼は夜行性だから仕事中?」
「え、ええ」
俺の状況判断できていない意味不明な反応に戸惑っている。
「仕事に戻らなくていいの?」
「いや、その」
「ちょっとフューキなに呑気に会話してるの!」
「あ、フューキっての俺のこと」
彼女も俺の反応が不可解らしい。だが敵だ、殺人者だといわれても実際に襲われなければ冗談にしか聞こえないのが本音だ。暴力沙汰には無縁で、喧嘩すら小学四年生以来していない。それが外見だけは二十歳前後の自分たちと同年代となればなおさらだ。
「こいつは吸血鬼殺しなのよ!」
「リーがそう言うならそうなんだろうけど……。第一、俺たちには用がないんだろ?だったら早く月見酒の続きがしたい」
グラスを傾けてワインを飲む。実を言うとそれにこそ気が向いていた。
彼女を落ち着けようとしたのも早く月見を再開したいがためだ。
「俺は興味のないこと意外どうでもいい質なんでね。用もないのに男女の楽しい時間を邪魔するんじゃない」
ワインと火の明かり以外にもリーの頬が赤くなる。
「ちょっと人前で恥ずかしいこと真顔で言わないでよ」
照れて俺の肩をぽかぽか叩く。
――可愛い。
ヤスミーンもその様子に呆然としている。この可愛さは致死レベルだ。
冷淡な顔と性格のギャップが何ともいえず…。
「あなた、本当にS・リーリエ・フォン・エーヴィヒカイトですか」
「他にこんな美人がいるか」
疲れたようにため息をつく。
「即答でのろけないで下さい」
「事実だ」
「それがのろけだというんです」
「もしかして一人身の嫉妬?」
パンッ!
いつのまにか彼女の手に黒光りする銃が握られている。威嚇射撃よろしく銃口は空を指していた。
「それ以上いうと射殺しますよ」
撃つ、ではなくて、射殺すると断言する。しかも、フフ、なんて笑ってるくせに目が笑っていない。
けど…。
「一人身っていうのは否定しないんだな」
ついポツリと言ってしまった。
間髪入れず銃口をこちらに向け発砲する。
パンッ!
「マジ?」
そういえば吸血鬼殺しとかいっていた。それが本当なら発砲するのに躊躇うはずもない。
しかし銃弾は俺に届くことはなかった。
見えない壁に阻まれてどこかに飛んで行ってしまう。リーリエがなんかしてくれたんだろう。もっと吸血鬼である自分にとって銃弾くらい視認できるし、試したことはないが、たぶんよけることもできるだろう。それほどまでに吸血鬼の身体能力はでたらめだ。
反射的な恐怖もすぐ霧散してしまった。
本物の拳銃なんて初めてみたが、人殺しの道具だと思えず、恐くはなかった。
銃弾が見えてしまってはエアガンと変わりはない。
リーも突然の攻撃に怒ることなく、俺に瞳を向け、抱き着かんばかりに興奮していった。
「フューキすごいわね。氷の香り、なんて変な二つ名のあいつを怒らすなんて!」
氷の、と呼ばれているならよほど冷静で人なんだろうか。
「なんかめずらしいものを見せてもらえたようで」
銃弾が届かない余裕からか、また失言してしまう。
パパンッ!!
結果は同じ。銃弾はお星様になるべく見当違いの方向へ飛んでいってしまう。
リーはいまだにはしゃいでいる。
「何ですかあなたたちは!これでもその二つ名気に入ってるんです!」
「変なのは事実じゃない」
今度から「火に油注ぐ、バックファイア・カップル」と名乗ろう。
パパパパパパンッッ!!!!!!
バカなことを考えている間に銃声が公園内に響く。
くどいようだが、吸血鬼の動体視力は銃弾をも捉える。弾は円状に燃える火の上でひしゃげ、空の彼方へ飛んでいった。恐ろしいことに弾は全て俺の眉間を狙っていたが、やはりエアガンを顔にむけられる程度の恐怖しかない。
ヤスミーンは荒い呼吸を整えると再び質問をした。
「あなた、本当にあのS・リーリエ・フォン・エーヴィヒカイトですか?」
「だから…」
「あなたには聞いてません」
ぴしゃり、と言い放つ。
「こーんな美人ほかにいる?」
結果は同じ。上機嫌なリーは動じることなく俺の台詞を繰りかえす。
「ふざけないでください!」
「ふざけてなんかないぞ。ワインがぬるくなる」
早く月見を再開したい俺はそうもらした。ヤスミーンとかいう女性は真剣なのだろうが、つまらない漫才をしてるような徒労感が増えてきた。
「そうよ。それに、知り合い、といったでしょう。私はあなたの知る正真正銘S・リーリエ・フォン・エーヴィヒカイトよ」
どこか絶望的な溜息をついた。
「信じられません。あなたはそこらにいる小娘にしか見えない。絶対者とまでいわれた面影は見る影もありません」
頭を振り、あきらめにも似た息を吐く。
「あなたがどうしてそう変わったかは詮索しません。あなたは本来、我々の除外対象ですし、隣の彼も今は見逃しましょう。どうやら今回のターゲットではなかったことですし」
背を向け、炎が照らす範囲から出て行く。
「今回の目標は第二階級に属する吸血鬼です。あなたを追ってこの街に来たのでしょう。寝首をかかれないよう気をつけてください。あなたを殺すのは我々告死者なのですから」
よくわからないがそれで自己完結したらしく、暗闇へと姿をくらませてしまった。
気配が消えるとやはり気が張っていたのかリーは溜息をつく。
「あのね、話すことがあるの」
くるりと体ごと半回転して顔を向けると、悲しそうに綺麗に笑った。
そのさまは散る桜を思い起こす。
「でも、今はワインと月を楽しみましょう?」