第7話 夢下
「言わなくちゃいけない、もう一つはね。教会のほかにも、私を、殺そうとしている連中がいるってこと」
リーは俺の胸に顔を埋めたまま吐露を続ける。
先ほどまでの張り詰めた様子は少し和らいでいた。
絹のような黒髪に指を絡め、言葉なしに先を促す。
「そいつらは、あなたを見ても分かるとおり、力を得るために私の血肉を欲してるの」
「俺を見ても分かるように?」
リー以外に吸血種の知り合いはいないが、俺のどこに変わっているところがあるんだろうか。
リーと比べても吸血鬼としてそんな違いはない。
血は飲まないし、太陽の下は歩ける。十字架だってなんともない。試したことはないが聖水というのも平気だろう。
リーは魔術を使うがそれは俺に知識がないからだし、俺は平気だけどリーはにんにくが嫌いだ。それだって唯の好き嫌いにすぎない。
ついでに言えば彼女はピーマンもだめだ。
「私とフューキじゃ結構違うところあるわよ。私は、前にも言ったことあると思ったけど、生まれた時から吸血鬼だったから」
以前聞いた話を思い出す。
「ああ、起族っていうんだろ?それで俺みたいに血を吸われて吸血鬼なったのを死族っていうんだっけ?」
生まれ出たときから、種として吸血鬼であるものを起族。人という種であったものが不老不死の魔術を使ったり、起族と〈契約〉して吸血鬼となったものを死族と分類するらしい。
「そう、私とどう違うかっていうのは種族の違いにすぎない。起族と死族じゃ、同じ吸血鬼でも別種だから。けれど、私が血を飲み、私の血を飲んで〈契約〉したあなたは、ほかの死族とは明らかに違う」
「どう違うんだ?」
「血をまるで欲しないし、太陽の日を浴びても少し体がだるいくらいでしょ。どちらも数百年という長い年月を生き、力を貯えた死族じゃないとできない芸当なのに。成ったばかりの力のない吸血鬼は、生きるために食事をしなければならない。吸血鬼は優れた肉体を持っているからその分多くのエネルギーが必要なの。そのためには最も栄養価の高い食事をしなければならない」
「それが血というわけか」
「そう。欲求はのどの渇きとなって、血を飲まずにはいられない。二、三百年生きて力が溜まれば、潤い、お腹一杯になって欲求は薄れるんだけど、それまでは頻繁に栄養を摂取しなければならない。なのにあなたはまるで血を必要としていない。三度の食事だって空腹だからっていうより、人の時の習慣でって感じでしょ?」
たしかに吸血鬼になってからとくに空腹を感じた覚えがない。一日食べなくても平気だった。
「陽光に当たっても平気だし。それはね、飲んだ血が私のだったから。起族の血肉は特殊で、わずかでもそれだけの力が得られるの」
確かにそうなら力の欲しい奴は彼女の血を欲しがるだろう。少しの血で二百年ほど力を貯えたのと同じだというなら、全ての血肉を食らったらどれほどになるだろうか。
リーが誰かに咀嚼されるさまを想像してしまい気分が悪くなる。
「不老不死といわれる吸血鬼といえども、本当の意味で不死ではない。力がなくなれば死ぬ運命。死からは何人たりとも逃れられない。彼らは見せかけの永遠をもつがゆえ真の不滅を手に入れようとする。だからそれに近づこうと私の血肉を食らおうと殺しにやってくる」
「だから、私と居ると危険なの」
リーが俺の服をつかむこぶしに力をこめる。
「だから、私といないほうが安全なの」
だから自分とは別れろということだろうか。まさか別れ話に発展するとは想っていなかっただけに嘆息する。
安心させるために背中を軽く叩く。
一体吸血鬼であるリーが何歳かは知らないが、どう見ても不安と孤独に怯えるさまは子どもだ。自分が殺人者だともいっていたけれども、この様では彼女を恐怖の目で見ることはできない。
リーを殺そうとする輩に睨まれれば命を危険に晒すことになるだろう。
死にたくなんかない。できるならその危険にさえ近づきたくない。
だけど。
こんなに震えてる奴を放ってはおけない。しかも飛び切りの美人で、自分の好きな女性だ。
我ながらどうかしてると思うが。
「まあ、なんだ、リーみたいな良い女の恋人やってるんだから、それくらいは余興だろ」
「俺は、リーと、一緒にいるよ」
涙が溢れるのが自分でも分かった。
冗談めかしても照れているだけで、本当にそう思っていてくれている。
ずっと拒絶されるのが恐くていえなかった。言わなくちゃいけないとわかっていても言えなかった。
「リーは命の恩人だからな」
軽口ばっか言ってるけど、嘘が一つもないことは知っている。
髪を、背を、頬を、そして唇を優しく撫でてくれる。
そう言ってくれるなら私はフューキを守る。言ってくれなくても守るけど。
なでられる暖かな手に安堵し、眠気を誘われる。
しだいに心地よい気怠さに包まれていく。
あなたは最初で、唯一つの、最高のモノを与えてくれた。
あなたは私を潤す水。血なんか必要ない。あなたがいれば咽が渇くことはない。
エーヴィヒカイトの名にかけて、永久にあなたを守ろう。
我が名はシュヴァルツ・リーリエ・フォン・エーヴィヒカイト。
永遠を冠する始祖が一人。
ならば悠久を無窮にいたらしめ、常しなえに久遠へ縷縷と機織ろう。
この約定とともに。
それにあのとき思ったんだ。死ぬことより一緒にいられなくなるのが口惜しかった。
一回死に目に会ってそう思えたんだから、きっと今度もそうだろう。
命に関わることだからと深刻に考える必要はない。
ただシンプルに自分へ正直でいればいい。
あの経験がなければこの答えは出せなかったかもしれない。それほど自分は強い人間じゃない。
根拠も無しに粋がれるような人間でもない。
それに、自分といないほうが安全だと、彼女は言った。
無意識の言葉だろうけど、それは、本当に、うれしかった。
そのほうが幸せだとは言わせない。思わせない。
かたわらに広がる髪に指を絡めながら、内にある熱をなだめる。
触れているのは自分だが、しだいに自分がなでられているような安堵感が広がる。
それにともない、月に照らされていた視界は闇に包まる。
そして自分も月に別れを告げた。