第10話 道化の鎌
抑揚のない声が、音という振動を伝える。
「かつてのあなたなら気にも止めなかったでしょうに」
自分を庇ったことを侮蔑し、リーを見下す。
空気の震えが止まり、しばらくして氷の静寂がふたたび広がると、言葉を続けた。
「あなたは変わられた。それとも変えられたのでしょうか?」
白い街灯の明かりが冷たい雪明かりのように躰を淡く照らす。
「孤高で、唯一であったかつての姿は見る影もない。見るに耐えぬ。〈子〉は孤独に耐えられぬ脆弱なる者が共に戯れるモノ」
朗々と、夜の影すべてが声を発しているかのような錯覚に襲われる。
怨嗟のオーケストラにも似た不気味な闇がここにある。
「そのようなモノを欲するとは戯れるにもほどがある」
徐々に込められた力が強くなってゆく。
「孤独足り得ぬ者など王ではない。支えを要する者など王足り得ぬ。王足り得ぬ王を認めるほど我は寛容ではない−−!!」
しだいに荒くなった息を沈めようとする。
「枷に気などやらねば、疾うに我の命など狩られようものを。枷を枷のままとするならば、宜しい、我が影に取り込み心ゆくまで咀嚼しよう−−!」
もはや独白は叫びとなり、強烈な刃となる。
男は退く気など毛頭ない。その殺気だけで死を覚悟した。
「戯れは終いだ!!」
「ぐっ!」
「フューキ!?」
見ると彼の足の甲から影の槍が突き出ている。
「フューキ!!」
間に合わないとわかっていた。
それでも駆け寄ろうとする。
間に合わない。わかっている。
踏んでいる影から直接攻撃されてはよける暇もない。
足を縫い取られたフューキは動くことができない。
たった一メートルの距離が遠い。
一本、二本、三本……。
右脛、左腿、腹、右胸、両肩、左手、右腕……。
不格好な前衛芸術のように、血塗れた槍を躰からはやす。
「−−フューキ」
返事はない。
「フューキ!」
意識がない。
「フューキ!!」
そっと無事だった心臓に肌の上から触れる。
弱々しく上下している。
だが安堵のため息をつくことはできない。
「期待はずれもいいところです。敵よりもその〈子〉のほうばかり気にしている」
ヤスミーンが私を笑う。
「うるさい!」
そんなことはどうでもいい。
吸血種は治癒能力に優れてはいるが、非情に危険な状態であることに変わりない。
それにこれ以上傷を受けない、ということが大前提となる。
槍を引き抜き、大がかりな治癒魔術をかけなければならない。だが敵がそれを見逃してくれるはずもない。
焦燥感と悔しさで歯を噛みしめる。
恐怖?絶望?何かが徐々に心を浸食する。
「本当にふぬけですね、今の貴女は」
「戯れは終いだと申し上げた」
二人が寸評する。
ああ。
「それには同感です。私も逃げ回るのはあきました」
なんて堕落。 私はこんなに弱くなかった。
「彼女は雛の世話で役に立ちませんでしたし」
恐怖。絶望。不安。
「私が隙を作っても仕掛けようとしない。作ろうともしない」
動揺、苦悶、弱気、憤慨、畏縮、
困惑狼狽懇願後悔惑乱激昴臆病
無様焦燥
そして依存。
私の内になかったものたち。私を貶めたものたち。
けれど悪い気分ではない。心地よくすらある。
Denn……(なぜなら……)
それは知らなかったものたち。教えられたものたち。
そして大切なものたち。彼が抱くものたち。
二人の蔑みすらそれを証明するに過ぎない。
だが、そう、遊びは終わりだ。
「Das Wasser……」
気休めに過ぎないが治癒魔術を施す。
時間が惜しい。
フューキに怖がられるんじゃないかと気に病む暇はない。必要もない。
私は全力をもって敵を排除する。
嘲りを受け鎌持つJokerとなろう。
消去すべき敵を見やると告死者の相手をしている。それを確かめてからフューキに刺さったままの槍を引き抜く。
気を失っているにもかかわらず、痛みを感じるかのように引き抜くごとに痙攣する。
見ている自分すら痛くなるようなひどい傷だ。だが血は止まりつつある。きちんと魔術を施せば傷もふさぐだろう。
指先に着いた彼の血をそっと舌で拭う。
ああ、なんて甘いんだろう。
これだ。この血、彼の血だけがひどく美味しい。やめられないほど甘美だ。
きりがないのはわかっているので、左手だけで終わりにする。
フューキが動けない間、手出しはさせない。
他の二人は戦いを繰り広げているが、告死者に任せてはおけない。
相手は超越種の中ですら円卓に数えられるもの。
本人は良くて相打ちといっていたが、自惚れもいいとこ。
告死者に対しNo.VIの表情は余裕すら見受けられる。
道化の鎌を死神のそれへと変え、不老不死という大樹を切り倒してくれよう。
口が笑みの形に歪められる。
それは狩人の、彼には見せられない虐殺者の笑みだった。