第13話 呆気ない終わり
大地に、大規模な魔法陣が赤く浮かび上がる。冷ややかでありながら血のように赤い光を発するそれは、不吉でしかない。
さっきみたいに一定の言葉を意識することすらない。呪文、言霊、思念は不完全に回路を開く際の制御弁のようなものだ。
今は全てを放出するだけ。ただ、傲慢に思えばいい。
『我こそが世界を支配する』
それは蛇口を壊す合い言葉。
「ククアハハっ!!浸食される!魂が犯されるとはこのような苦しみか!暗く、寒く、恐ろしく!!ひどく心地よい!」
魔法陣が具現化したとき、気づけば終わっていた。
通常なら唯一自己に属する精神と肉体。外部からの影響を限りなく遮断できる自らの内を、一瞬にして理不尽に侵害される。影だけすら驚愕だというのに、自分の本体すら陵辱するのだこの悪魔は。
悪魔、魔王、超越種、不死者。どんな侮蔑さえ生温い。
不可能が可能となる不可解。黒を白とさえする力への畏怖。
そして自己が薄れゆく恐怖。
そう、こんなものに襲われては長き生を終える前に狂うしかない。
「クク……やはり届かぬか」
これほど愉快に笑ったのは何百年ぶりだろうか。
恐怖。そうもはや恐怖しかないというのに、
何故、
我は笑いしか……
満足ゆえか?何の満足だ?とうに厭きた生の終焉か?
いや、違う。
「さあ、死族の頂点に立ちし円卓の者よ。還りなさい……」
鎌を掲げる。
無造作に分断された黒い躰が、霧散するように闇に融けてゆく。
我が糧と為すことも、我を糧と成すことも……、
水面に石を投ずることすらかなわぬか……。
目的は何一つ遂げられなかった。しかし恐怖にさいなまされた狂笑ではなく、心の底から笑いがこみ上げてくる。
夜に喰われながら、愚かなほどに、虚しいほどに、呆気ない幕切れにふと心に浮かんだ答え。
「……」
――いと高き、、、〈絶対〉なる我が王……。
万物を矮小に貶める者よ。
やはり貴女こそが相応しい……。
手が届かない。
その真実こそ、ひどく、満足――……、――、――――
最後の言葉は空気を振るわせることなく、風に融け、思念となってながれる。
第三者なら呆けるほど呆気ない終演。
あまりにも唐突で滑稽だ。
結局、No.VIが何を考えていたのか最後までわからなかった。
私の血肉のために戦いを望んできたはずなのに、機会があったのも関わらずトドメを刺してこなかった。
世界と接続し、力を解放する前なら可能であったはずなのにだ。
さらには、しょせん無駄だが、可能であった抵抗はせずに自然へと還っていった。
円卓に数えるほどのモノなら、〈世界〉に対して少なからず〈回線〉を持ち、そこからの干渉にも多少は抗えたはずだ。
まったくもって謎だらけだがどうでもいい。
その方法をとったとしても私が〈接続〉したあとでは無意味。
私には関係ないことだ。
そんなことよりフューキの怪我を治さなくてはならない。
意味のないことに思考を裂くほど暇ではない。
No.VIが存在しようとしまいと、興味のないことだ。
あいつがフューキを殺そうとしたんだから、逆に殺してやったってフューキは私を嫌いにはならないと思う。こっちの方がよほど重要。
それに厳密には殺したんじゃなくて、自然に還しただけだし。
魔術を織りなし発動させ、彼を癒す。
そう、殺したというとフューキは嫌な想いをするかもしれない。帰ってもらったことにしよう。
No.VIという個体はもう存在しないが、それであった何かは自然に飲み込まれ、存在していることは確かだ。魔術的には〈封印〉したとも言えなくはない。
今のわたしはフューキの価値判断を批准している。それは他人から見たらひどく可笑しいことだろう。他人に判断を委ねるということは自分がないということだから。それにフューキだって間違えることも、正しくないこともするだろう。けど私は別に盲信しているわけじゃないのだ。
悪いこととか、やってはいけないこととか、そんなことはどうでもいい。
フューキが私の髪を、頬を、唇を、背を、肌を触れることの方がよほど関心事。
私を縛る規律などない。ただフューキという結果が欲しいから一定の過程を選んでるにすぎない。
徐々にフューキの呼吸が規則正しくなってきた。とりあえずは一安心といったところか。
「私たちは帰るわ」
出来の悪い三文劇を演出した、今まで存在を忘れていた告死者に声をかける。夜の闇からは今だNo.VIの気配が漂うがそれに意思はない。
「もう用はないでしょう」
だからこれは忠告であり、警告だ。関わるな、声すらかけるなと。
彼女にたいして私はひどく機嫌が悪い。gYは私を追ってきたのだろうから彼女が連れてきたわけではないが、気分的にはフューキを痛い目に遭わせてくれた疫病神だ。
傷に障らないようにそっとフューキを抱き上げる。思いのほか回復が早いようで少しほっとする。
私に抱き上げられた、なんて知ったらどんな顔をするのだろう。そんな想像に楽しくなる。
「……我らは何故、かくも弱いのだ」
人の親切を無視した言葉は無意味なものだった。無意味すぎて怒る気力も失せるほどに。
人がいくら努力しようと、人である限りその殻は破れない。それが嫌なら死族になるしか、別物になるしかない。
「それは神に対する問いかしら?」
「違う……、しかし人は弱い。我らとて……私たちですら貴女には抗う術など持たない」
No.VIに有効な攻撃を加えられなかったせいだろうか。ひどく落ち込んでいるように見える。人が吸血種をはじめとする超越種よりも弱いのは仕方のないことなのに。
そのようにできているのだから。
本当ならどうでもいいことだけど……。
「群をなす種が、そこから外れても生き長らえる個体は少ないでしょう?なぜ人が群をなすのか、なすことができるのか考えなさい」
そっとフューキの額に口づける。
「超越種ですら、独り生きることは難しいのだから」
もはや言うことはなく、公園をあとにするだけだった。