第21話 帰着・到着

 不快だ。肉はフューキのままなのに、中身が違う。
 違うと言うのも違うかもしれない。
 多重人格のように、私の知るフューキ以外の誰かがいる。
 フューキが変という漠然とした不安が明確になり、それはもはや恐怖と言っていいかも
しれない。

 恐怖?
 そう恐怖!
 フューキがいなくなる恐怖なんか感じたくない。
 そんなのイヤだ。たまらない。

 でもこの恐怖を何処か誇りに思う。

 この恐れは何処か暖かい。

 彼がいるから温もりを知った。
 彼だからこそ畏れる。いなくなることを。
 彼の存在が示唆されるなら恐怖すら愛おしい。
 でもいなくなるのには耐えられない。
 だからこれは不快だ。
 
 僅かに、フューキの手を握る手に力を込めさせる。

 唯人なら亡霊に憑かれたたかのようだと言えるフューキ。
 けどフューキは吸血鬼だ。
 魔術や何らかの能力も何もないが、吸血鬼というだけで霊格が上がる。
 闇の中に影がないように、魔はより強い魔にうち消される。
 吸血鬼というだけで、亡霊などに憑かれることはない。
 ましてこの私と〈契約〉したのだ。
 偶然浮遊霊に憑かれるなどと起きるはずもない。
 それは絶対だ。その絶対が崩された。ならばこれは偶然などではなく、また浮遊霊など
という小者の仕業でもない。

 不安は確信となった。
 瞳に魔力をおびる。
 そうしてフューキの魂の色を見る。
 フューキの色は、透き通った朱色。朱色のガラスのような魂だ。ガラスのような冷たさと
鋭さ、炎の暖かさと激しさ。しかもガラスのように脆く見せかけて、実はルビーのようにひどく硬い。
 心地よい柔らかさと意固地なまでの固さ。
 そこに一点の、表現しがたい濁った色がある。
 ジャガイモの芽のように、そこだけえぐり出したい衝動に駆られる。
 これは何か、よくないモノだ。
 子供の癇癪のように不快がこみ上げる。
 目から魔力を拡散させ、魂を見るのをやめる。
 それが無くなったわけでないが、見えなくなったことで少し落ち着く。
 えぐり出したいがそんなことできない。
 魂に対する心霊手術など不可能だ。少なくとも私には。

 苛つく。

 日がずいぶん高くなっても、その苛つきは私を寝つかせてくれなかった。


 カーテンの隙間から斜陽が差し込んでいる。
 起きあがろうとしても身じろぐことさえできないのはいつものことだ。
「?」
 右手を見ると、白くなるほど強く握られている。
 またいやな夢でも見ているのだろうか、眠りながら眉間にしわが寄っていた。
 左手でそのしわを伸ばすように触れると、軽く声を漏らす。
 長い睫のついた瞼が少し開かれる。
 どうやら起こしてしまったようだ。
 眠そうに何度か瞬きしたあと、おはよう、とあいさつをする。
「……」
 まだ完全に覚醒していないのだろうか。
 呆っと沈黙が落ち、数秒して、
「いつものフューキだ」
 と、よくわからないことを言ってきた。
 ?私はいつもの俺だ。
「なんか変なとこない?」
「別に?風邪なんかも引いてないぞ」
 なんか妙に心配そうにしているので、よくわからないながらも頭をなでて安心させてや
る。
「ならいいんだけど……」
 リーはそう言って視線を落とした。
 そう、別に変なところなんかない。


 何事も、順調だ。







「便利な世になったものです」
 雑多な国際空港に降り立ち、餌の間を闊歩しながら男は独りごちる。
「眠っていれば目的地に着くのですから」
 それにしても空腹ですね。
 よい便がなく到着は日中になってしまった。
 お陰で日の光が体力を削り取っていく。
 〈起族〉と違って〈死族〉は恒常的に血が必要だ。
 昼の世界は男にとって疲れるものだが、当たりに撒き餌のように散乱する人間はそれ
以上に活力となる。
 男は食通を自負している。
 村落一つ壊滅させるような暴飲暴食は趣味でない。加えて、
 旅をしたら、その場所以外では味わうことの難しい特産品で舌を楽しませるべきだ。
 男はそう考えている。
 しばらく餌を物色し、ベンチに座る二十歳前後の女性に目を付ける。
 黒く滑らかな長い髪に、黒い瞳。黄色い肌はいただけないが、この二つの色合いは男
にとって好ましいものだ。
「夜に住む我らに相応しい色ですからね」
 目鼻立ちもなかなか秀逸だ。
 前菜にしては少々豪華な気もするが、男は彼女を最初の餌に決めた。
「もしお嬢さん」
「はい?」
 食い散らかすような真似はしない。
 食事は静かに、上品に、が男のモットーだ。
 静かに、だが絶死のおぞましさをもって、男は人差し指と中指をもって女性の首筋を貫
く。
 指は文字通りに皮を抉り、頸動脈を刺し抜く。
 男は静かに笑う。
 なかなかの美味だ。
「最初から処女に当たるとは私も運が良い」
 首筋に穿たれた穴から一筋の血が流れる。
 それだけだ。
 指が抜かれた後もそれが変わることはなかった。
 女性の躰からほとんどの血が失せていた。
 男は立ち去る。
 凶事に気づいたものはいない。
 そもそも男にとってはただの食事だ。
 同じ場でいくつも食事すればいたずらに煩わしいことになる。
 それくらいのことは考慮する。
 極東のこの地は、協会と教会、ともに目が行き届きにくい土地だが、この土地にはこの
土地なりの機関が存在する。
 ここは男のホームグラウンドではない。ならば昼の世界を波立たせるのは下策だ。
 別にそれでもかまわないが、静かに、ゆっくりと味わうように食事をするのが難しくなっ
てしまう。
 家畜には家畜なりの守るべき平和があるのだ。それが食事に選ばれるまでの儚いもの
であっても。
 良識家を自負する男は自身の寛大さに満足した。


 そしてその日、同じような死体が都内で十体ほど見つかった。

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